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繊細さんと現代

繊細さんという言葉を最近知った。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という敏感に感じやすい人のことを指すらしい。この敏感な人というのはいつの時代にもいた。ただこのタイプの人に「繊細さん」、「HSP」というレッテルを貼るのはどういうことだろう。

現代では、これまでのあらゆる差別や不公平がせきを切ったように糾弾されている。人種という概念を疑い、男女平等を訴え、人為的要因による環境破壊を止めるように人は街路にでて声を上げる。

この時代、つまり人がこれまで暗黙にうやむやにしていたものをしっかりを目に見える形で是正しようという時代に、この「繊細さん」という言葉ができる。

人は、是正することを目的に生きる。ネットでは何か炎上していないかもしくは炎上しそうな出来事はないかを探し続ける。少しでも、現代が善しとする基準から外れれば、寄ってたかって叩くようになる。人は、この行為が正しいと思う。間違った発言をした人間を叩いていいと認識し、無意識のレベルまでその認識を落とし込む。

「繊細さん」という言葉は、この社会の性向に沿って人気がでてきたのだろう。この流れは、労働基準法を違反している会社が叩かれ始めた10年代からの流れを引いているのだろう。人々の関心が、「やさしくない」ことを叩くことに向き、傷つきやすい人の味方になる。そこで、わたしたちは、傷ついているともっと言っていいのだと思う。かと言って、やさしい社会になっているのかと言えばそうではなく、なんだかもっとぎすぎすした社会になった気がする。